2015/07/27

もうちょい整理

この前の安保に関してのブログから、もうちょい整理したので書き留めておきます。

色々調べてみると、ただ単純に「集団的自衛権反対!」「戦争反対!」って言うのはちょっと違うんじゃないか?という思いが出てきたので。

もちろん思いを行動にうつしている方々の、平和へのエネルギーはかけがえのないものだし、大切な行動です。

だから、違うっていうか、伝えるべきはそこじゃないんじゃないか?
って感じなのかなぁ。

まぁ、つらつらと書いていく中で整理したいと思っています。

とはいえ大前提として、俺自身は「戦争」や「暴力」は吐き気がする位嫌いです。



まず最初は、今回の安倍総理の行動についてだけど、少なくとも自民党は前回の衆議院選挙で大勝したわけで、その時のマニフェストに「集団的自衛権の行使を可能とし」と表記していたわけだ。
とすると、やり方は少々強引だったにせよマニフェストに従い、公約を守ったということだ。もちろん公約を守るのは大切なことだ。

とすると、選挙で自民党が(公明党も含め)勝った時点から、当然考えられる流れだったのだろう。
それを知ってか知らずか、多くの人が自民や公明に票を入れたのも事実な訳だし。

どれだけそういう人がいるのかは知らないが、もし自民公明に投票して文句を言ってる人がいるとしたらちょっとそこにズレを感じるのです。

ようするに、マニフェストで集団的自衛権行使を掲げてた自民党が選挙で勝ったのに、世論調査では反対している人が多いってのはどういうことだ?
って事です。

「すんません、後から知りました」
なんて人もいるとは思う。
俺だって自民党に票を入れてはいないけど、そこまで真剣に考えてはいなかったかもしれない。


これを機に、選挙についてもっとちゃんと考えなければいけないと思ったわけです。



次に、集団的自衛権に関してなんだけど、これもいろいろ難しいのですね。
「ぜんぜん話しが通じねぇ!」って国や団体がこの世界にはいるわけで、そんな相手に国際的なルールやモラルなど通じるわけがない。

それに対して「集団で守る」という考えは通ると思った。そこにおける抑止の効果は強いだろうし。

とはいえ「集団で潰す」ってのは違うと思うけれども。


とにかくそんな中で「国連憲章に、国には集団的自衛権の権利があるって書いてるのは分かるんだけどぉ、憲法的にそれNGなんでぇ、あんまガッツリいけないんす。あ、でもみんな守って下さいね、後方支援はバッチリやりますんで」ってのは、ちょっと虫が良すぎるんじゃない?って思われても仕方がないよな〜。

アメリカへの従属というのが根底にあるにせよ「集団的自衛権を行使します」って言い切る事は、逆に他の国から「じゃあ俺たちも守ってやんよ」っていう裏付けをとることにも一応はなるんだよな。
実際はどうなるか分からないけど「行使します!」って言うこと自体が抑止にもなるんだろうな。

たとえば「やっぱ、集団的自衛権やめ!国民の反対の数超多いんだもん!」ってなった場合、「だったらじゃあ、もう守んのやめた!基地も撤退!」とアメリカがなるとする。
当然他の国も「え〜、だったら俺らも守るのやめよ〜」とかなるとする。
そうなると「お!日本ゴール超ガラ空きじゃね?行っとく?撃っとく?」みたいな国が出てこないとも限らない。

そうなってしまった時に、
日本はどこまで自衛出来るのか?
スイスみたいに永世中立国的なアプローチで、国民一丸となって戦えるのか?

とかとか、色々問題はあるんだなと。
そういう部分においては「抑止って大事系?」という考えが頭に浮かびました。

だがしかし、ここで一つ疑問が生じます。
「抑止抑止とか言ってっけど、抑止で得られる平和って本当の平和って言えんのか?」
です。

抑止を成り立たせるためには、相手よりも強大な武力が必要になる。
これはもう、ドラゴンボール的な「強さのインフレ」が起きる事は目に見えている。

結局世界中で「もっともっと武力を〜!」となったあげく、最終兵器「核」を持つ事になり、現在ではギリギリ均衡を保ってるような感じだ。

「誰かが撃ったら終わりっス、地球終わりっス」なんて今の状況って平和か?

お互いにナイフを喉元に突きつけ合って「なんか最近ウチら平和だよね〜」って言えるとしたら、とんでもないよな。ある意味かっけぇけど…。



結論として、もう「抑止」を基本とした平和への道ってのは、行き止まりに来てるんじゃないのか?ってことです。

抑止でのゴールは「世界的な核武装」&「絶え間ない紛争」だったって事なんじゃないのか?
新しい平和への道のりを考えるターニングポイントなんじゃないのか?
日本だから出来る、日本にしか出来ない新しい平和へのアプローチを考えて、世界に示してく時が来たんじゃないのか?

と、思いました。
だからこそ「集団的自衛権反対!」とか「戦争反対!」とかじゃなく、「新しい平和への話し合いを!」みたいなことが言いたいのかな、俺は。

人種、宗教、経済とさまざまな要素が絡み合って、とんでもなく難しい道のりなのだろうけど、少なくとも向かうべき方向を見つけて、そっちに顔を向けるってところからでいいから始めたいですよ、俺は。

2015/07/16

7.15&7.16

ちょっと自分の考えを整理する為に。

今回の集団的自衛権の行使容認についてだけど、憲法9条や、安保、自衛隊と様々な問題をまとめて考えないといけない状態に今あると思った。

少なくとも、周辺事態法とかで考えると、一線は越えていないがほぼ集団的自衛権が発動されてると言ってもいいくらいのことが行われていたし、自衛隊も憲法の条文からしたら相当無理があるし、安保だって情勢は常に変わるわけだし、いつまでもアメリカに頼ってるってのもどうかと思うし。

ようするに明確な線引きが無いから揉める事になる訳だ。
そろそろ、いろんな事はっきり決めてった方がいいんじゃない?と。


自分の考えとしては「自衛」のために軍を持ったっていいと思う。あくまでも専守防衛としてであれば。
名称なんてどうでもいいから、それが国防軍だろうが自衛隊であろうがどうでもいい。

近い事で考えるなら、日常生活の中で護身術を習って、身体を鍛える事に近いと思うから。
正当防衛だって法律で認められているわけだし、それを無関係の人に使ったら傷害や暴行として裁かれるルールもちゃんとある。

結局のところ、国民を国が法で律するという仕組みがあるから成り立っているわけだ。
それが一応は国連なのだろうけど、大国の言葉には歯向かえないからこんな事態になっていると。


話が逸れたが、集団的自衛権も自分としては『戦争や紛争状態を、早く、平和的な方向に向かわせるための支援』であればした方が良いと思った。


理想を言ったら、全員武器捨て!
細かい理由なんて抜きにして、全部戦争ダメ!
っていうか、暴力自体全反対!


なのだけど、話し合いが通用しない国もいるし、「俺、関係ないんで」っていうのもなんか違う気がする。大きくみたら同じ町内みたいなもんだもんね、地球だって。
刃物を振り回してる奴がいるのに、「俺、関係ないんで」はおかしいよな。

「金は出すから…」っていうのも、状態を悪化させる原因になってしまう事もあるだろうから、違うよな〜。


ようするに、具体的にどういった支援が平和に繋がるのか?ってのを話し合って決めて、実行するべきなのではないかと。

基本的には「専守防衛」と「個別的自衛権」をメインとして、明確なルールを作りつつ「集団的自衛権」を行使する、っていうのがいいのかな〜?

なんかよく分からなくなってきたけど、とにかくあやふやな状態で、あやふやな集団的自衛権行使を強行採決させるってのはありえないよな〜、やっぱ。